神の御影思いだにすら現れず 思わざれども消えじ君はも(ダライ・ラマ6世の恋愛詩より)
滴塵047
本文
要点
神仏のお姿は思っても現れてくれないが、君の存在は消えないという恋愛表現。 現代語訳
神仏の姿はどんなに思ってもなかなか現れてくれないものだが、特に思っていないのに消えない、君の姿は。ああ、何故だろう。 注釈
思いだにすら現れず:強く心に念じても、その姿はなかなか現れてくれない。
はも:~よ、ああ。文末に用いて、強い詠嘆の意を表す。 思わざれども消えじ君はも:意識的に思わなくても、愛しい「君」の存在は心から消えることはないだろう。
སྒོམ་པཧི་བླ་མཧི་ཞལ་རས།ི
ཡིད་ལ་འཆར་རྒ྄ཡུ་མི་འདུག།
མ་སྒོམ་བྱམས་པའི་ཞལ་རས།
ཡིད་ལ་ཝ་ལེ་ཝ་ལེ།
解説
深掘り_嵯峨
悟りや真理は、熱心に求めてもなかなか姿を見せない(難得)のに対し、愛しい人の存在は、意識せずとも(思わざれども)心から消えない(不滅)という、愛の絶対的な支配力を認めています。 仏教の最高指導者の一人の恋愛詩を引用することで、究極の求道者でさえ人間的な愛の力には抗えないという、煩悩と悟りの間の葛藤を、切なくも率直に表現し、この「滴塵」の歌群を締めくくっています。