神の御影思いだにすら現れず 思わざれども消えじ君はも(ダライ・ラマ6世の恋愛詩より)
滴塵047
本文
神の御影思いだにすら現れず 思わざれども消えじ君はも(ダライ・ラマ6世の恋愛詩より)
形式 #短歌
カテゴリ #8.比喩・諷刺・諧謔・引用
ラベル #仏 #恋愛 #精神 #比喩 #引用
キーワード #御影 #思い出せず #消えない #君 #恋
要点
神仏のお姿は思っても現れてくれないが、君の存在は消えないという恋愛表現。
現代語訳
神仏の姿はどんなに思ってもなかなか現れてくれないものだが、特に思っていないのに消えない、君の姿は。ああ、何故だろう。
注釈
神の御影(みえ):神仏の姿、真理の姿。
思いだにすら現れず:強く心に念じても、その姿はなかなか現れてくれない。
はも:~よ、ああ。文末に用いて、強い詠嘆の意を表す。
思わざれども消えじ君はも:意識的に思わなくても、愛しい「君」の存在は心から消えることはないだろう。
ダライ・ラマ6世の恋愛詩より:ダライ・ラマ6世は即位後、沙弥戒を返上、以後は恋愛と酒と即興歌作りをして暮らした。そのため廃位された。ダライ・ラマとしては型破りの人物であったが、その人柄と歌がチベットの多くの民に愛された。https://ja.wikipedia.org/wiki/ダライ・ラマ6世
སྒོམ་པཧི་བླ་མཧི་ཞལ་རས།ི
ཡིད་ལ་འཆར་རྒ྄ཡུ་མི་འདུག།
མ་སྒོམ་བྱམས་པའི་ཞལ་རས།
ཡིད་ལ་ཝ་ལེ་ཝ་ལེ།
解説
恋愛感情の永続性と不変性を描く短歌。思考や記憶の有無に関わらず、存在の実感が消えないことを示す。比喩的表現で精神性と感情の深さを強調。
深掘り_嵯峨
宗教的な求道の対象(神の御影)と、世俗的な愛の対象(君)の相対的な力を対比させた、人間味あふれる結びの歌です。
悟りや真理は、熱心に求めてもなかなか姿を見せない(難得)のに対し、愛しい人の存在は、意識せずとも(思わざれども)心から消えない(不滅)という、愛の絶対的な支配力を認めています。
仏教の最高指導者の一人の恋愛詩を引用することで、究極の求道者でさえ人間的な愛の力には抗えないという、煩悩と悟りの間の葛藤を、切なくも率直に表現し、この「滴塵」の歌群を締めくくっています。